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てげてげブログ
2013-03-21

446) 中欧を旅する(3)

第2日目ーその1  (2月26日・火曜日)

          〇ブタペストの由来
  ブタペストはもともと3つの独立した町であった。ローマ時代の遺跡が点在するオーブダ(旧ブダの意)、13世紀以来王宮が築かれ一時は中欧最大の都として栄えたブダ、商業を中心に発展したペスト。この3市が合併され、現在のブたペストとなったのは1873年。その少し前の1849年、ブダ側とペスト側は10年の歳月をかけて完成したくさり橋によって初めて結ばれた。
  合併後の数十年でブタペストは飛躍的な発展を遂げ、かって臣従を強いられたウィーンより人口が多い都市になった。
  ブダ側はいくつもの丘が連なる丘陵地帯。王宮をはじめとする歴史的な建物に加え、邸宅の並ぶ、落ち着いた家並みと豊かな自然が広がっている。
  ペスト側は、山がちなブダ側とは対照的に平坦な大地が広がっている。大小の環状道路とそれに交わる道路が放射状に整然と走っている。町を歩く時はドナウ川がどちらにあるか意識していると方向がつかみやすい。(『地球の歩き方・中欧』から転載)

  8時半にホテルを出発、観光名所をめぐり、夜はドナウ川クルーズでライトアップされた美しい夜景を堪能した。主なものを記してみる。

          〇ゲレルトの丘
  ドナウ川岸にそそり立つ標高235mの岩山。丘の頂上にある要塞は市内随一のビュースポットで、ドナウ川を中心に両側に広がる町の景色を一望できる。その景観は世界遺産となっている。真ん中をゆうゆうと流れるドナウ川と、そのドナウ川にかかる橋々、中心にあって最も有名で古いのがくさり橋。くさり橋は保存のために大型バスの通行を制限していると聞いた。川の左側(西側)がゲレルトの丘や王宮のあるブダ地区、右側(東側)が国会議事堂のあるペスト地区。観光の初日、冒頭からまことに素晴らしい景観であった。
  ゲレルトの名称は『ゲレルト司教』にちなんだものである。
  ハンガリー人は、小アジアの遊牧民族が移住してきたのが祖である。初代ハンガリー王イシュトバーンは、遊牧の民から脱してヨーロッパ風の国づくりをすることを目指し、このため国をキリスト教化した。イシュトバーンによってイタリアから招かれた伝道師ゲレルトは、ハンガリーのキリスト教化をすすめた立役者である。その後、異教の暴徒によって手押し車にはりつけられ、この丘のてっぺんから突き落とされて殉教した。以来、丘にその名を残している。

          〇王宮の丘
  高さ60m、長さ南北1.5kmの小高い丘陵地帯にある。丘の上が平坦な岩山で、中世からの城壁に囲まれている。ハンガリー王国の居城であったブダ王宮をはじめ、、みどころが点在している市内随一の観光スポットである。観光客目当てに丘にいた、女性画家の押し売りに根負けして水彩画1枚を買った。
  △漁夫の砦・・・白い石灰石で出来たとんがり屋根の5つの丸塔とメインの高い尖塔を回廊が結び、童話に出てくるお城のようなたたずまいをみせる建築物。ドナウ川を見下ろす古い城砦を土台にして、1905年にマーチューシャ教会と同一人物の設計で完成した。かってこの辺りに魚の市が立っていたことや、城砦のこの場所はドナウの漁師組合が守っていた伝統からこの名前がついた。眼下にドナウ川、そして平坦なペスト地区が広がる最高のビューポイントである。
  △三位一体広場・・・王宮の中心となる広場。中央にたつ像は、ダビデ王がペストの終焉を願い、祈りを捧げる姿がモチーフ。
  △マーチューシャ教会・・・13世紀、王宮の建設と同時に建てられた教会。カラフルなモザイク模様の屋根と細かく装飾された石の塔が特徴。塔の高さは80m。内部には壮麗なフレスコ画が描かれ、鮮やかに輝くステンドグラスが美しい。2階に博物館を併設。

          〇聖イシュトバーン大聖堂
  エリザベート広場の近くにあるブタペスト最大の聖堂。1851年の着工から半世紀をかけて1905年に完成した。2本の塔と直径22m高さ96mの大ドーム屋根が特徴。内部の壁画やネオ・ルネッサンス様式の壮麗な装飾も見事。初代国王イシュトバーンの右手のミイラが聖遺物として「聖なる右手の礼拝堂」のガラスケースに保管、展示されている。

  観光を済ませ、カロチャ刺繍の実演を見学後、昼食(メニューはスープ、鶏肉とポテト、ケーキ)。  (2013.03.21)                          

  

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