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てげてげブログ
2009-09-29

92)アンコール遺跡 2009.9.29

  先週23日から27日にかけて、4泊5日でアンコール遺跡観光に行った。安川電機という会社に1965年に一緒に入社した同期の仲間で、毎年実施している旅行である。今年は夫婦4組、計8人の旅になった。
  現地は雨季だというのに、スコールに襲われたのも1回だけ、比較的天気にも恵まれ、気心も知れている仲間同士、終始楽しい旅行だった。

  まずカンボジアという国家について。インドシナ半島の中央に位置し、タイ・ベトナム・ラオスと隣接。1953年にフランスから独立したものの、ベトナム戦争の影響を受け、さらにクデターで混乱。1975年には大量虐殺で悪名高いポルポト共産政権が成立して内戦が激化。ようやく国連が紛争解決に乗り出し、1993年に新生カンボジア王国が誕生し現在に至る。政治体制は立憲君主制。
  大河メコンとトンサレップ湖(東南アジア最大の湖、雨季の広さは琵琶湖の14倍)という自然の恵みに支えられている。またアンコールワットを始め、かってインドシナ半島を支配したアンコール王朝の栄華を偲ばせる数々の貴重な遺跡群は、世界遺産として多くの観光客を引き付けている。
  しかし少なくともバスの中から見た限りでは、産業とか工業とかという類の風景には出会わなかった。豊かな自然と観光で経済が成り立っているのであろうか。遺跡の出入り口やトイレには、どこでも警察官や職員らしき人達が大勢たむろしていたし、小さな子供達が絵葉書や土産物を売っていた。少ない仕事をうまくワークシェアリングしているのかもしれない。
  また遺跡の修復や道路の建設など目立つ事業は、殆ど外国の経済援助によるものであるらしい。日本が作ってくれた学校や道路というのも紹介してくれた。

  ついでアンコール遺跡群について。12世紀から13世紀にかけて全盛期を迎えたクメール王朝は、やがて衰退の一途を辿り、いつしか人々の記憶から消えていった。しかし忘れられた都は密林の中で生き続けていた。1860年フランス人の学者によって発見され、フランスの手によって遺跡発掘・調査・修復が行われてその全容が明らかになった。独立後、内戦によって遺跡の荒廃を余儀なくされたが、1992年に世界遺産に登録され、世界各国の手で修復作業が行われている。
  何百もあるという遺跡の殆どが石造りの巨大な建造物である。またその殆どが寺院や祠堂といった仏教やヒンズー教の施設である。いくつもの遺跡巡りをしていると、どれがどれやら分からなくなってしまった。
  中心はアンコールワット(王都と寺院という意味)とアンコールトム(大きな街という意味で南大門やバイヨン寺院が見もの)だが、その他に私達が観光しただけでも、バンテアイ・スレイ、タ・プローム、スラ・スラン、タ・ケウ、バンデアイ・クディ、クラサット・クラバン、プリア・カーン、ニャック・ポアン、タ・ソム、東メボン、プレ・ループなど、似たような大小の遺跡があり、この他にも数多の遺跡があるらしい。これらの意味を理解しようと思うなら事前に十分な予習をしておく必要がありそうである。

  珍しかったのはトンサレップ湖観光だった。海上生活者達の生活を垣間見ることが出来た。雨季と乾季で湖の大きさが大きく変わるので、それにつれて船に載った家ごと移動するのだという。船の上に学校や教会がある風景、船の上で犬ばかりか、豚まで飼っている風景、生活用品や野菜を売って回る小船、たらいに乗って物乞いに来る子供達。
  ともかくも8名全員、怪我も病気もせず、元気に帰国できたことに感謝しながら-----チョン。 

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