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てげてげブログ
2011-02-04

259)八百長相撲

  八百長メール問題で日本相撲協会が大揺れだ。相撲協会は過去にも何回か八百長問題で騒がれたことがある。何回か週刊誌にも書かれ、裁判までやったケースもある。その都度事実無根ということで逃げおおせてきた。
  これまでは証言者はいたものの、物証がなかった。しかし今回は携帯メールという物証がある。しかもその出所が警察という公的機関である。さすがにもう言い逃れは出来ないだろう。

  しかしその証拠メールは昨年の3月場所と5月場所に限ったものらしい。両場所だけが特殊な八百長場所だったなんてことはありえない。長年に亘り日常的に行われてきた、氷山の一角だというのが常識的な見方だろう。しかもメールを押収された数人に限らず、幅広く大勢の力士に広がっていると見るのが自然である。同じようなグループが幾つもあるのかもしれない。
  メールで名前の上がった数人を調査して幕を引くようでは、抜本的な解決にならず、これからは沈潜化して密かに巧妙に続けられていくことになるのではないか。

  私は大相撲の熱心なファンである。そしてこれまで私は、ある程度八百長がやられているんじゃないか、という前提で大相撲を見てきた。その理由は・・・
  まず第一に力士社会は狭い社会であるということ。部屋が違ってもしょっちゅう顔を会わせ、飲み食いも一緒にするだろう。話し合う機会はいくらでもあるはずだ。
  第二に相撲が一対一の個人プレーであるということ。二人が合意すればそれで実行できる。
  第三にあの大きな力士同士が、いつも力一杯の勝負をしていたら、怪我も増えるし、力士寿命も短くなるだろう。時には手を抜きたいと思うだろうということ。
  そして第四に星一つの重みが場所によって違ってくるということ。7勝7敗、勝ち越しか負け越しがかかった場所もある。この一番に勝てば三賞だとか、幕内や三役が望めるとか、負ければ陥落だとか、そんな時の一勝には価値がある。一方で、勝ち越しや負け越しが決まった後では、星の一つや二つくれてやってもあまり大きな痛手にならないかもしれない。困った時はお互い様、貸し借りの生まれる可能性は高いだろう。
  いずれも八百長を生みやすい土壌と言えよう。

  力士殴打死亡事件、暴力団との根深い関係、朝青龍問題、野球賭博事件と次々に発生する不祥事。中でもこの八百長事件は、ファンの期待を根本から揺すぶる飛びっきりの大事件である。
  しかし大相撲をスポーツとみなければ、目くじらたてる必要はないのかもしれないとも思う。歌舞伎と同じように伝統芸能と考えるか、プロレスと同じくショーと考えるか・・・。
  近年、力士の多くが外国人となり、しかも三役以上の上位力士に日本人があまりいないという番付表を見る時、大相撲を国技と呼ぶのにいささかの抵抗を感じる私でもある。(2011.02.04)

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