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てげてげブログ
2016-01-21

851) 日本遥かなり


ノンフィクション作家、門田隆将氏の最近作「日本遥かなり」を一気に読んだ。実際に起こった事件を題材に、一つ一つ事実を確かめ、現場にいた多くの人々の話を聞き、そういう膨大な資料の中から纏められた力作である。

中でも、特にイラン・イラク戦争時のテヘランからの脱出劇には、読みながら不覚にも涙をこぼした。



この本はそれぞれ独立した5つの物語から構成されている。

第1話は、1890年に和歌山県紀伊大島の沖で、激しい台風のために座礁難破したトルコの戦艦エルトゥールル号遭難事件の話である。死者580名、救助された者65名。その時の村人の懸命の救難活動やその後の親身な世話が、トルコ国民の心を動かし、感謝され、語り継がれる。その話が第2話の前奏曲になっている。


第2話は、それから95年後、イラン・イラク戦争時のテヘランが舞台である(1985年)。イラクからの突然の激しい空爆やロケット弾攻撃が市民を襲う。イラン・イラク戦争は5年前から始まっていたが次第に激しさを加え、ついにお互いが都市を攻撃し合う泥沼に陥った。イランの首都テヘランにいた日本人駐在員やその家族、出張者等は突然、戦乱の中に投げ込まれることになった。

民間航空機はどこも定期運航を取りやめる。日本以外の国は、自国民を救出するために救援機(多くは軍用機)を飛ばしてくるが、日本からの救援機は望めない。大使館員は他国の大使館に日本人の救援を頼み込むが、相手にしてもらえない。頭上を砲弾が飛び交う中、日本人は動きがとれなくなる。

そのうちにイラク空軍が衝撃的な発表をする。「イラク軍は、今から48時間後、イラン全土の上空を戦争空域に指定する。すべての民間機が攻撃を受ける可能性がある」。そうなれば脱出はほぼ不可能になる。絶体絶命の危機に追い込まれた。しかも時間は48時間しかない。

この時動いたのが一人の商社マンだった。彼は当時、伊藤忠のトルコ・イスタンブール事務所長であった。彼は当時のトルコ国首相とは古くからの盟友であった。盟友だったとはいえ、一商社マンが、トルコの首相に救援機の派遣を直接頼み込んだのである。

結果としてトルコ国の首相を動かすことに成功し、トルコ航空がいつ爆撃をうけるかもしれない危険な救出活動のために救援機を出してくれることになった。それは95年前の遭難事故に対するトルコ側の恩返しでもあった。


第3話は、イラクが突然クウェートに侵攻した湾岸戦争(1990年)。イラクはクウェートにいる外国人をイラクに移送、監禁、人質にとって多国籍軍と対峙する。もちろん多くの日本人も含まれる。(「人間の盾」事件)

世界中から非難を浴びたイラクは、少しずつ人質を解放するにいたる。この事件で日本人の解放に功績があったのは、プロレスラーのアントニオ猪木氏であった。猪木氏は2度にわたって現地入りしてイラク政府に働きかけ、これが4ヶ月に亘った人質生活からの解放に結びつく。


第4話は、イエメン内戦からの脱出(1994年)。この事件ではイエメン大使が活躍する。日頃から親しくしてきた大使仲間を通じて懸命の奔走をしたのが効いて、幸いにもドイツ軍機で難民扱いとして脱出することが出来た。


第5話は、リビア動乱からの脱出(2011年)。政府機能がマヒして大混乱の空港から、民間航空機(マルタ航空のマルタ行きの便)の空席をなんとか探し当て、苦労を重ねて脱出できた。脱出者たちの機転や勇気と現地人スタッフの協力による脱出劇だった。


第1話以外の4つの物語は、外国で戦争や内戦や動乱が発生して、日本人が危機に陥った時、邦人救出問題をどう考えるのかという課題を投げかけている。

これまでの日本は、具体的な救出活動をしていない。それは世界の常識からはずれていると筆者は言う。邦人の命を守ることは「究極の自衛」であるとも言う。

自国民の命という、何にも代え難い貴重なものを、他国にゆだね続けてきた戦後日本のありかたを考え直す時期に来ているというのが全体を通じた筆者の主張である。


邦人救出問題に関して、国内には筆者と異なる慎重な意見が根強い。

しかし筆者が最後に書いている次の文章は衝撃だった。

        

 『 私は、本書の取材で、海外で活動する多くの邦人に、

   こんなことを教えられました。それは、

   海外で危機に陥った時、外国人は、

   「心配するな。必ず国が助けに来てくれる」

   と信じており、一方、日本人は、

   「絶対に国は助けてくれない」

   そう思っている、ということです。 』

        

      (2016.01.21)


  

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