2014-02-20
544) 日米関係
読売新聞によると「昨年末の安倍首相の靖国神社参拝に米政府が『失望』を表明したことを巡り、衛藤晟一首相補佐官が動画投稿サイト『ユーチューブ』に『我々の方が失望した』などと批判する発言を公開した。菅官房長官は19日、衛藤氏に取り消すように指示し、衛藤氏は動画を削除した。」ということである。
衛藤氏はこの中で「米国が『失望した』と言ったことに対し、むしろ我々の方が失望した。米国はなぜ同盟国の日本を大事にしないのか」とか「米国は中国にものを言えないようになりつつある。『失望した』との言葉は中国に対する言い訳として言ったに過ぎない」等と発言しているという。
安倍首相の靖国参拝に関して、国内の批判勢力がとやかく言うのは仕方がないだろう。しかし一国の総理大臣が、自らの信念に基づいて参拝したことに対して、他国の政府から文句をつけられるというのは、国民としてまことに面白くない話である。それがこれまで親分と慕い、頼り、従ってきた米政府からのことであれば尚更だ。
「むしろ我々の方が失望した」というのは衛藤氏の正直な気持ちであろう。記事によると衛藤氏は首相の参拝前に自らわざわざ渡米して、米政府高官に根回しをしていたというから、その悔しさは一入だろうと思う。しかもその発言を取り消さざるをえなかったとあっては同情に値する。
この事件を通していくつか感じることがあった。
まず日本と米国の関係は対等ではないということがあらためてよく分かったということだ。国土を親分に護ってもらう親分子分の関係であるからには、子分は子分の分を守り、何事も親分にお伺いをたて、親分の意向に背かないように行動すべしということであろう。
二つ目は役職を背負った者の発言の難しさについてである。衛藤氏の発言は首相補佐官という立場では不適切だから取り消すということだ。近頃NHK会長として不適切とか、経営委員として如何なものかとか、なんとか委員長としてはとか、その立場上不適切と批判される例が多い。組織の役職者だからという理由で、個人の考えや発言を全て抑え込んでしまったらまことに面白くない世の中になってしまうような気がするのだが・・・。
もう一つ、いつもは米国追従を批判する野党やマスコミが、今回は米国の機嫌を損ねてけしからんと騒いでいるのが可笑しい。恥ずかしくて正直者には出来ない芸当だ。(2014.02.20)