596) 帚木蓬生
戦地から帰郷した主人公が、戦地での自分の行動について、戦犯の容疑がかかっていることを知り、逃亡を決意する。追っ手の目を怖れて国中を逃げ回ったが、ついには逮捕されて、死刑を覚悟する。しかし海外での軍事裁判にかけられる直前に、裁判自体が閉廷となり、九死に一生を得る・・・といった内容だったように記憶している。
戦後、世界各地でB級戦犯、C級戦犯として10000人以上の日本人が逮捕され、世界各地の軍事法廷で約1000人が死刑判決を受けたという事実をその時初めて知った。恥ずかしながらそれまでA級戦犯のことしか頭になかった。B級やC級といえば罪の軽い戦犯かと思っていた。
迫力のある描写にぐいぐい引き込まれながらも、医師である帚木氏が何故この歴史に関心を持ったのか、不思議に思ったものである。今朝の読売新聞でその謎が解けた。「あのとき」というシリーズものの記事である。抜粋する。
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<1946年11月>
「警視庁から出頭命令が出ている」。県警の刑事は、男に告げた。男には太平洋戦争中、英国人を拷問にかけ、死亡させた容疑がかかっていた。兄のこぐ自転車の荷台に座り、男は刑事の自転車に続いた。収穫を終えた田んぼが広がる田舎道。突然、荷台から飛び降りると、振り向かず走り去った。・・・・・妻・千鶴子のおなかには、帚木蓬生がいた。父親の失踪から2ヵ月後、帚木は小郡市で生まれた。母親は闇米を売って生活費を稼ぎ、父親不在の2年間、家族の暮らしを支えた。・・・・・戦後、父親は戦犯となった。刑事が現れたあの日から約1年間、逃亡生活を続けた末、関東で身柄を拘束された。当時、元日本将兵に対する死刑判決が相次いでいた。父親も死刑を覚悟したが・・・・・
(帚木氏は)数多くの作品を世に送り出した。ただ、「逃亡」は、「これを書くために作家になったようなもの」と語るほど特別な存在だ。・・・・・
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迫力のある小説だったはずである。さっそく、もう一度読み返してみようかという気になっている。(2014.05.15)