650) 終活
近頃、よく「終活」という言葉を目にし、耳にするようになった。「就活」や「婚活」があって、その他にも「なんとか活」というのがあるのかもしれないが、いよいよ最後が終活だ。
今朝の読売新聞の「編集手帳」欄にも終活のことが触れられていた。
『 ・・・◇超高齢化社会は「多死社会」でもある。今、年間130万人近い人が亡くなり、2030年頃には160万人を超す。多くの人が死を意識しながら、延びた寿命を生きていくことになる。「どう生き、どう逝くか」に向き合わざるを得ない。◇終活ブームが熱を帯びている。終末期の医療や介護、葬儀、墓・・・。人生の終わりの迎え方を計画し、準備する。関連業界が開く終活フェアは活況で、納棺ならぬ「入棺体験」のイベントが人気を集めているとか。・・・ 』
終活がブームになる中、私たち夫婦に関しては、「人生の終わりの迎え方」についての計画や準備が全く出来ていない。
これまでの72年間、「なんとかなるだろう」式に行き当たりばったりの生き方をしてきたつけが、最終的に行き着いた結果である。
また私の稼ぎの多くが、3人の息子たちの教育費に注ぎ込まれた結果でもある。鹿児島の私立高校に進んだ子もいた。東京の予備校で浪人生活を送った子もいた。そして3人とも最難関と言われる東京の大学に進学した。子供たちの希望をかなえてやることに精一杯で、自分たちの老後のことなど考える余裕のなかった時代だった。その時代の尾をいまだに引きずっているのである。
まず墓をどうするか決めていない。こちらで墓をたてたら、東京で暮らす子供たちに墓参りの厄介をかけることになる。だから・・・どこかのお寺で永代供養をして貰おうか、あるいは樹木葬とか散骨という方法もあるようだ、等とぼんやり考えてはいる。
保険料を払う経済的余裕がない時代だった。また保険が嫌いでもあった。だから生命保険や傷病保険など、保険と名のつくものに一切加入していない。さらには終末期医療や葬儀に備えた貯えもない・・・ままよ、癌になったら健康保険で出来る範囲の治療で済ませてもらおう、葬儀は家族葬でこじんまりやって貰おう。
お迎えがいつ来てもおかしくないこの歳になっても、いまだに本気で終活をする気になれない私である。「まあ、なんとかなるさ」という生き方を変えることの出来ない私でもある。(2014.08.25)