791) 慰安婦
小倉駅前で西日本新聞を配っていた。
配られたビニール袋の中には、今日の朝刊1部と催し物のチラシ、それにシャボン玉のせっけん歯磨きがおまけについていた。西日本新聞社では時々このような拡販活動をやっている。
貰ってきたその新聞に目を引いた小さな記事があった。「70年前のきょう」と題する囲み記事である。そのまま転記する。
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『 70年前のきょう ~~ 終戦からの31日間 占領軍相手の女性集めよ 』
日本占領の連合国軍の到着に先立ち、警視庁保安課は26日、吉原貸座敷組合長ら風俗業関係者を集め、占領軍兵士の性の相手をする女性を集めるよう要請した。吉原の業者は「われわれが結束すれば1万や2万の女性は集められる」と豪語し、「特殊慰安施設協会」(RAA)との団体名で活動を始めることになった。街頭広告や新聞広告などを通じて女性を募集、最初の慰安婦施設は大森で開業する。
内務省は既に18日、全国の警察に対し、占領軍専用の慰安施設をつくるよう秘密裏に指示していた。政府は業者に対する設備資金なども補助する。
占領軍兵士をめぐっては「上陸したら日本女性をレイプする」とのうわさが駆け巡っている。このため、若い女性を都市部から地方に避難させる動きも起きている。
RAAの広告を見て応募したメアリーさん(仮名)は「体を売る仕事だと聞いたときは息が止まるほど驚いた」が、まだ戦地にいる夫が帰ってくるまでは「母と妹を食べさせなければならない。死ぬよりまし」と働くことを決めたという。
メアリーの言葉は広岡敬一著「戦後風俗体系」から。大森で働いたメアリーは1日に「55人」の米兵の相手をしたこともあった。彼女の夫は47年ごろ、シベリア抑留中に亡くなったという。
(記事には「進駐軍兵士らでにぎわう東京・銀座のキャバレー = 1945年11月」という説明文がついた古い写真が添付されている)
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この記事を読んだ後、複雑な思いにとらわれた。最初に、日韓関係を難しくしている慰安婦問題を思い出した。また、そういえば・・・と、私が生まれ育った鹿児島の片田舎にも「パンパン」と呼ばれる米兵相手の女性たちが住まう施設があったなあ、というおぼろげな記憶が甦ってきた。
兵隊さんと彼らに身を売る女性。今はいざ知らず、かっては世界の何処にでもあった風景ではないのか(?)日韓の慰安婦(売春婦)問題だけが、何故に、韓国だけでなく、アメリカにおいてすらも大きく取り上げられるのだろうか(?)
私たちは、現在保有している倫理観や価値観を基準にして過去の出来事を裁きがちである。それはフェアなことなのだろうか(?)事件の後に作った法律で、過去の事件を裁くのに似ているのではないか(?)
いろんなことに思いをはせる機会を与えてくれた記事だった。(2015.08.20)