
2025-05-30
2016)胃瘻
それなのに私は何も分からない妻の胃瘻設営に同意してしまった。矛盾しているじゃないかと言われるだろう。あの時、妻は誤嚥性肺炎で高熱が出て緊急入院したのだった。何一つ口から摂取できないために、入院当初から経鼻経管栄養に頼った。病院からは経鼻経管は病人自身もきついし、この後退院して施設に入る時に、対応出来る施設が非常に少ないからという理由で、胃瘻の設置を強く勧められたのだった。
そして今、やはり胃瘻の選択は良くなかったという思いが強くなっている。甘い、辛い、しょっぱい、酸っぱい、美味しい、不思議な味だと、食べることは楽しい。私は生きている楽しみの何割かは、食べることにあるのではないかと思っている。それが妻は水も食べ物も何一つ口に入れられず、胃袋に直接流し込まれる水と栄養分で生かされている。喜びも、悲しみも、怒りも分からずに、眼だけは開いて生きている。私のあの時の胃瘻の判断は間違っていたと悔やまれるのである。
いずれ私も死に至る。その時自分に判断力がなかったら、生きるための胃瘻はやめて欲しい、そのことを息子たちに今から伝えておきたいと思う。
(2025/05/30)