2009-04-17
55)痴漢 2009.4.17
『走行中の満員電車で、女子高生に痴漢をしたとして強制わいせつ罪に問われた某(大学教授)の上告判決で、最高裁は懲役〇年の実刑判決を破棄して逆転無罪を言い渡し、「被害女性の証言の信用性を疑う余地がある。犯罪の証明が不十分」と述べた。無罪が確定する。』 という記事。要するに被害者の証言だけで有罪にしてはいけないということだろう。
最高裁が今更こういう判決を出したということは、これまで被害者の証言だけでも有罪にしてきたという事実の裏返しであろう。
痴漢は卑劣な行為である。しかも常習化しやすい犯罪である。厳しく罰されてしかるべきである。しかし何の物証もなく、被害者以外に目撃者もいないという時の判断は難しい。すし詰めの満員電車の中である。別の人だったという誤認の可能性もある。恣意、悪意が入り込むという可能性だってある。これまで被害者(あるいは被害者と称する女性)の証言のみが重んじられてきた結果、多くの冤罪が発生している可能性を、最高裁判決は示唆しているのではないか。その反省が今回の判決につながったのではないか。
そう考えると、身に覚えのないことで、家庭が壊れる、職場を追われる、一生を棒に振ったという事例がこれまで少なくなかったのではないかと思えてくる。自分にだっていつなんどき降りかかってくるかわからない災難のように思えてくる。こと、痴漢に関しては、「疑わしきは罰せず」という刑法の大原則がおろそかにされてきたのであろうか。
痴漢に問われ、無罪を主張して裁判で戦っている多くの男達の特集記事を、だいぶ前に週刊誌で読んだ記憶がある。中には車内で迷惑行為をしている女学生に注意したら、それを逆恨みして、根も葉もないのに痴漢、痴漢と騒ぎ立てられたために逮捕・留置され起訴されたというような酷い話もあったように記憶している。
女性の近くには乗らない、かかわりを持たない、吊革を両手で握る、といった方法でしか自分の身を守れないとしたらまことに窮屈な世の中である。もっとも九州ではそれほどの満員電車でないことを幸せと思うべきなのかもしれない。
と、ここまで書いてきたものの、この判決で不心得者が増えて、痴漢行為が横行してはこれまた困ったことになる。世の中は難しい。