2010-01-06
126)派遣村 2010.1.6
一昨年の暮れ、急激な景気の落ち込みに伴い、非正規社員の解雇が相次ぎ、「職」と同時に「住」まで失った大量の派遣社員が世の同情をかった。『派遣切り』という新語が生まれ、横行した。大手製造業の身勝手さが批判された。人材派遣事業が諸悪の根源と見做された。そして日比谷公園に開設された『年越し派遣村』が注目を集めた。その主催者は有名人となり、その後新政府の要人にもなった。
あれから1年が経過した。街中で見かけるホームレスの姿が減ったようには感じないが、実際には増えたのだろうか、減ったのだろうか。あの『派遣切り』が原因でホームレスになり、今でもその生活を続けている人がどれくらい残っているのだろうか。
寒い年の瀬に、ホームレスに食や住を提供することにはそれなりの価値があると思っている。ヨーロッパを旅行した時に、長い行列をなした生活困窮者に食事を提供している社会奉仕団体の姿を目にしたことが何回かある。日本でも、身近なこの北九州市でも、以前からホームレスに対する炊き出しのボランティアが続けられてきた。それは派遣とも『派遣切り』とも関係のない行事であった。
だから-----毎年の恒例行事になるかもしれない年末年始のあれを、ことさらに『派遣村』と呼ぶのはもう止めて欲しい、と私は願っている。
人材ビジネスは社会的に意義のある事業だと信じている。これほどまでに多様化した社会にあって、官(ハローワーク)の手だけで、人と職とをマッチング出来るとは思わない。一方に民間の多様な人材ビジネスがあってこそ、多くの人達が望んだ職に結び付いていると思っている。業界人の多くはそのために必死になって取り組んでいる。それでなくては生き抜いていかれない。
『派遣村』や『派遣切り』は、ズシリと腹に応える呼び名である。あの時期、一部に行き過ぎがあったにしても、いつまでも背負っていくには重過ぎる言葉である。
そろそろ開放してもらえないものだろうか。