2013-05-21
464) 誕生日
亡きオフクロの話では、小さい頃から病弱な子供だったらしい。大病でよく入院したと聞かされて育った。当時オヤジの金回りが良かったから十分な治療を受けさせられたけど、貧乏な今ならとっくに死んでいたよ、という話もよく聞かされた。
中学生の時、大した能力もないのに、校内マラソン大会で優勝した。負けず嫌いの頑張り屋だった。その無理がたたったのか、途端に肝臓を悪くして黄疸にかかった。生まれ故郷の田舎から、バスに乗って、隣町の病院に長いこと通ったことを覚えている。このころから私の持病である喘息の発作も始まりだした。
病弱は社会人になっても続いた。30歳前後の働き盛りの頃、喘息の発作がひどくなった。色んな治療法を試みたものの、それでも克服できなかった。夜中、呼吸が苦しくて眠れず、ゼーゼー喉を鳴らしながら、布団を抱え込み、背中を丸くして座り込んだまま、病院が開く夜明けを待っていた。それがしょっちゅうだった。何回も入院した。退院して自宅に着いてすぐひどい発作に見舞われ、退院したばかりの病院に救急車で出戻りしたこともある。あと何年生きられるのか、自分の寿命に全く自身を失っていた。喘息で呼吸困難になり、命を失う人が珍しくもなかった時代である。
(喘息の治療法も進歩したものである。今では、朝1回ステロイド薬の吸入をするだけで、発作がほとんどおこらなくなった。)
喘息発作で入退院を繰り返していた時期と前後して、メニエル氏症候群なるもので入院したこともある。いつものように会社に出勤したものの、朝から吐き気がしていた。例によって、前夜に痛飲していたので二日酔いだと思い、会社の運転手さんの控え室にお邪魔して横になっていた。1~2時間で回復するはずが、夕方になってもよくならない。どころかますます酷くなった。グルグル眩暈がする。吐くものがなくなって、苦くて黄色い胆汁を吐くようになった。これはおかしいと職場の仲間が、近くの病院に担ぎ込んでくれた。
入院後、数日たっても吐き気は治まらない。ベッドの上で目玉をちょっと動かすだけで世界が回転する。横の物を見る時は、目玉を固定したまま、顔全体をそちらに向けないことには眩暈がするのである。しかもこの病気は再発性があり、何回でも繰り返し出るものらしいという知識も入ってきた。先の見えない不安に襲われた。「一生涯半病人」「社会復帰困難」そんな言葉がしきりに頭の中を去来した。三男をベビーカーに乗せ、長男と次男の手を引いて毎日見舞いに来てくれる妻に申し訳なかった。これからの生活の不安を思った。
(幸いにも、メニエルはこの1回だけでその後再発しないままである。)
高齢になって不整脈と高血圧と前立腺の薬は毎日欠かせなくなった。食物のアレルギー発作で呼吸困難になり、点滴治療をうけたのは数年前のことである。急性腎臓障害で1週間余の入院を余儀なくされてからまだ1年にもならない。
そんな私が71歳まで生きた。何種類もの薬を飲みながらではあるけれど、なんとか元気に生活している。若い頃のことを思うと、今はもうおまけみたいな人生である。何歳まで生きたいという欲もない。何をしておきたいという欲もない。周囲の人に迷惑をかけず、静かに逝ければ言うことはない。(2013.05.21)