765) 生活記録ノート
教育熱心な先生だったのかもしれない。
毎日、生徒に『生活記録ノート』を提出させていたらしい。
多分、先生も何かコメントを書いて返却していたのだろう。
生徒の記録への感想であったり指導であったり・・・。
以下は、朝日新聞デジタルから書き写した「生活記録ノート」の断片である。
4月7日「今日は新しい学期と学年でスタートした一日です」
4月17日「最近〇番の人に『いかれてる』とかいわれました」
5月13日「もう学校やすみたい氏(死)にたい」
6月28日「もう生きるのにつかれてきたような気がします。氏(死)んでいいですか」
6月29日「ボクがいつ消えるかはわかりません」「もう市(死)ぬ場所はきまってるんですけどね」
そして担任の先生のコメントは「明日からの研修たのしみましょうね」だったという。
そして7月5日、中学2年生の男子生徒は電車に飛び込んで死んだ。学校は全生徒へのアンケートを実施し、複数の生徒がいじめを疑わせる行為を目撃したと答えた。現実にいじめがあったのである。
生徒からのSOSが3ヶ月も続いた。死にたいというのは極めて重い訴えである。しかも何回にも亘る訴えである。生徒は必死な思いで救いの手を待っていたのだろう。何故それをすくいあげ、自殺を防止することが出来なかったのだろうか。自分一人で抱えられないなら、何故、同僚の先生や上司に相談しなかったのだろうか。
酷な言い方になるけれど、それをSOSと感じる感性が欠けていたのかもしれないと思う。「生活記録ノート」それ自体が、形骸化して魂のこもらないものになっていたのかもしれないとも思う。「明日からの研修たのしみましょうね」という先生からの最後のコメントを生徒はどんな気持ちで読んだだろうか。(2015.07.10)