778) A氏逝く
つい先日、Y社時代のある時期直属の上司であったA氏が亡くなったと聞いた。A氏との運命の出会い(運命というのは大袈裟に聞こえるかもしれないが、私にはまさに「運命の出会い」という想いが強い)は私が労働課長や人事課長を卒業して、部長職に昇格した時だった。当時A氏は専務取締役、新聞辞令で次期社長候補にあげられるような、飛ぶ鳥落とす勢いの人だった。私はその彼が事業部長をつとめる、M事業部配下の工場長の辞令をもらったのである。人事・労務部門ひとすじを歩いた私のような人間には異例の人事だった。
A氏は最初の1年間、私をベタベタと可愛がってくれた。しかしある事件を契機にそれは急変した。製造現場からの希望で、小さな塗装設備を新設したのがきっかけだった。その時A氏に事前相談しなかったのが悪かったのである。以後の1年半、やることなすこと全てに亘って彼からクレームがついた。会議では満座の中、大声で一方的に怒られた。一度沸騰したが最後、他人の意見を聞く人ではなかった。夜中遅く、自宅に電話をかけてきて長時間グジグジと文句を言われることも珍しくなかった。朝早く電話で起こされ、A氏宿泊のホテルに呼び出されてこっぴっどく怒られたこともあった。
過去に私の他にも彼の被害者が何人もいたのである。みんなが彼を恐れていた。彼の話をする時、多くの人は彼のことを本名でなくアルファベットで呼んでいた。パワハラという便利な言葉のない時代だった。今から振り返れば、A氏はある種の人格障害者だったのではないかと私には思えるのである。
私がつぶれてしまう前に古巣の人事部門が救出してくれた。しかしもう本体の中枢に戻ることはなかった。1年余りの充電期間を経て、私は新規に設立した子会社の社長に転出した。明日をも知れないちっぽけな会社だったが、時流の追い風を受けて大きく成長した。その傘下に2つの子会社を持つまでになった。その一つがこの「ウイングメディカル九州」である。
Y社グループを定年で退職する時、Y社から「ウイングメディカル九州」を買い取って自分で経営してみないかという提案を受けた。もらったばかりの退職金を注ぎ込んで会社を買い取った。当時の社員は全員私についてきてくれた。そして今、この会社は私の生き甲斐だ。毎日出勤して、社員と一緒に喜んだり、悔しがったり、充実した日々を送っている。日々の仕事を通して、自社の社員たちにやりがいと豊かな生活を提供することが私の人生の大きな目標になっている。この会社なかりせば、私の老後は寂しいものになっていただろうと思う。
A氏にいじめられ、追い出されたことが、この結果を導いてくれた。結果から言えば、今のこの幸せはA氏が授けてくれたものと言えるのかもしれない。感謝こそすれ恨んではいけない人なのであろう。『人間 万事 塞翁が馬』とか『禍福は糾える縄の如し』という故事がある。つくづくとそのことを実感しているこのごろである。
ご冥福をお祈りします。あの世ではあまりヒステリーを起こさず、安らかにお過ごしください。(2015.08.05)