866) 覚醒剤
鹿児島の片田舎の小・中学校で学んだ。
当時、田舎の学校にはよく大道芸人がやってきた。
運動場で全校生徒を前に色んな芸を見せてくれた。
荷物を積んだトラックをロープで引っ張る力持ちがいた。
お猿の芸や、四則演算が出来る犬の芸を見た記憶もある。
あんな大道芸が何か学習の足しになったのかは判らない。
暗くした講堂で、映画を見た記憶もある。
その中で「ヒロポン」の映画が強く印象に残っている。
ヒロポンを使って身も心もぼろぼろになっていく映画だった。
子供心にもヒロポンに対する恐怖心が植え付けられた。
ヒロポンが今「覚醒剤」と呼ばれていることを最近まで知らなかった。
たまたま昨日の毎日新聞夕刊にヒロポンのことが出ていた。
牧太郎氏の「大きな声では言えないが・・・」という連載コラムである。
そこに書いてあることは、私の知らないことばかりだった。
その前半部分をそっくりそのまま引用する。
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「疲労がポンと抜けるから、そう言うんだ」と母親から聞かされた記憶がある。医療用ヒロポン。俗称・シャブ、エス、スピード・・・・・今で言う覚醒剤のことである。
1941年、大日本製薬から発売された「ヒロポン」(メタンフェタミン)は服用すると、疲労を感じず、眠らないで済む。新聞広告には「疲労の防止と恢復に!除倦覚醒剤ヒロポンを!」。
堂々と薬局で売られ、印鑑持参で手に入った。
そればかりではない。軍部はヒロポンを特攻隊員に配布した。服用すると、なぜか、恐怖心がなくなる。若者に「戦死覚悟の攻撃」を命じる軍部には「重宝なクスリ」だった。
終戦。軍部が隠したヒロポンが闇市に大量に流れ、次第に、暴力団の資金源になっていく。
51年、覚醒剤取締法施行で、ヒロポンは厳しく規制されたが、実家の近くの「浅草かいわい」の芸能・風俗業界には、この「夢のようなクスリ」を愛用する人がいた。やがて、社会問題になり・・・
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ASUKAや清原和博で騒がれている覚醒剤。
思いもかけぬ歴史が潜んでいるんだなあ、と感じいった次第。
(2016.02.16)