1048) 鹿児島見舞い行
86歳になる鹿児島の長兄が体調不良で入院しているという。
昔、大黒柱であった父親が亡くなったのは私が大学1年、妹が高校1年の時だった。
普通なら学校を中退し、学業を断念して、実社会に出るケースだったかもしれない。
しかし私達二人はその後も学業を続けることができ、二人とも大学を卒業できた。
父の死後も学業を継続できたのは分厚い奨学金に助けられたことが大きいし、アルバイトで稼いだりもした。
しかしさらに大きかったのは、家を継いだ兄貴が父親代わりに私達を後ろから支えてくれていたということである。経済的にも精神的にも多大なお世話になった。
お世話になったその兄貴の見舞いのために、妹の病院が休診日となる5月3~5日の2泊3日、2組の夫婦でお見舞いに行くことになった。ついでなら、途中で観光も兼ねてゆこうというということになった。
5月3日(水曜日)
朝7時30分、牟田家の車が迎えに来てくれた。東九州自動車道にのり⇒佐伯で下車~日豊リアス式海岸をドライブ(複雑に入り組んで奥の深い美しい海岸線を観ながらドライブする)⇒蒲江の道の駅(昼食には刺身類がたくさんのった海鮮どんぶりをいただく)
再び東九州自動車道にのり⇒西都下車~西都原古墳群見学(広い大地に数多くの古墳群、前方後円墳が多い。一見、小さな丘の散在であり、見る者にあまり迫力を与えはしないが、大変な歴史遺産なのだろう。これだけの数の陵墓が作られたというのは、この近隣に多くの集落があり、豪族が住んでいたということだろうとも思う)
宿泊地の綾町へ。民宿「山水」アユ料理が売りらしい。時間があったので綾城見学(地元の工芸家の作品を集めたクラフト館が面白かった。陶器、木工、織物、染色等々、数十人の工芸家が綾町に住み付いているとのことである。町で奨励策をとって工芸家を呼び込んでいるのだろう)
5月4日
朝7時30分、民宿を発って「照葉大吊橋」見学(大吊橋は新しく作り直したとかで、高所恐怖症の私でも安心して渡れる構造になっていた。記念館も見て、売店で出来たての「あくまき」を買う)
えびの高原に向かう(離合に苦労するほどの狭い山道。取り巻く照葉樹原生林がどこまでも奥深くて、しかも色とりどりの緑を見せて美しい)
えびの高原の国民宿舎で昼食(雨のため高原散策は諦める)
霧島神宮参拝(階段を上って真面目に参拝する)
大崎町の姉の家へ。姉「よし子」88歳。大分齢をとったなあという実感。しばらくおしゃべりして最終目的地内之浦へ。内之浦では国民宿舎に泊る。
まずは、実家で父と母の仏壇に線香をあげ、お祈りする。
夜は病院から許可を得て、1日だけ退院してきた兄貴夫婦と一緒に6人で会食(兄貴が久し振りだという焼酎を美味しそうに満面の笑みで2杯飲んだのが印象に残っている。兄貴のあんな嬉しそうな笑顔を見たのは初めてだった)
5月5日
兄貴の家にお別れの挨拶に行く。鹿屋に住んでいる姪夫婦もやってきていた。鹿児島のお土産を山ほど貰って帰途に就いた。兄貴の名残おしそうな様子が忘れられない。
最後に弟が倒れて先日入院したらしいいう情報を聞いて、病院に見舞いに行く。今回は兄弟の見舞いの旅になった。
帰りは九州自動車道で自宅まで。途中1ヶ所、古賀インターの手前で事故の為の渋滞に遭遇したがあとは順調だった。