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てげてげブログ
2024-05-30

1492)妻の子育て

 妻はベッドに横たわったまま動かない。手も足も動かさない。うつろな目が天井の一点を見つめている。私が来たことを分からないのか視線が動かない。「おかあさん」と呼び掛けてもそのままだ。何度目かに、視線がこちらを向いた。しかし表情は変わらない。嬉しさも悲しさもそこからは読み取れない。話しかけてもほとんど反応はない。時々意味不明な独り言をつぶやくだけだ。帰り際、ベッドの中の手を握ったらかすかに握り返してくれた。昨日面会した時の妻の様子だ。肺炎の症状は治まってきたが、認知症の症状は確実に進行しているようだ。


 元気なころ、7~8年前まではしっかりした妻であり、母親だった。仕事にかまけて育児や家事を手伝わない夫を責めもせずに、3人の息子を立派に育て上げた。誰一人学習塾に通わせることもなく、3人とも東京大学に入学させ、卒業させた。息子たちは3人とも小学生の頃からサッカーに明け暮れた。サッカーの試合にはどんな遠方であれ駆け付けて応援したけれど、「勉強しなさい」と叱る母親ではなかった。


 東京で学生生活を送る子供たちの学資や生活費を稼ぐためにパートとして働きに出た。特技を持たない妻が従事出来たのは、製造現場の倉庫作業や巻き線作業などが主な仕事だった。職場環境の悪い化学工場で気分を悪くして倒れ、救急車で運ばれたこともあった。


 妻が自分自身をを注ぎ込み、育て上げた三つの作品が、これからようやく実を結ぶという時になって、妻はその果実を見ることも理解することも出来なくなってしまった。「お母さん、よく頑張ったね」と言ったら、少しは喜んでくれるだろうか。

 昨日の妻の様子を見つめながら、そんなことを思った。

               (2024/05/30)

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