2012-05-10
392) 無罪
検察審査会やら強制起訴やら、その仕組みをよくは知らない。しかし検察庁が捜査し検討した結果、証拠不十分として起訴しなかった事件を、検察ほどの組織も権限も持たない弁護士が有罪に持ち込めるとは思えなかった。どうせ無罪の判決が出るだろうと思っていた。控訴審もどうせ無罪の判決をくだすのだろうと思う。もっとも一審が、無罪とはしながらも、小沢氏の怪しさを判決文の中で指摘したことにはそれなりの意義があったと言ってもいいのだろうと思う。
無罪とは何なのだろう。『疑わしきは罰せず』という法理のもとでは、少しでも曖昧なところがあれば無罪になる。何処から見ても完全に有罪だ、と立証しなければ無罪になる。限りなくクロに近くても、灰色の部分が少しでも残っていればシロと判定される。判決で言うシロ(無罪)というのは、真っ白だという意味ではない。真っ黒でないものを、全て白と呼ぶ。
過去の冤罪事件などでも、証拠不十分で逆転無罪となった人達を、マスコミが英雄みたいにもちあげて報道することにずっと違和感を抱いてきた。「この人がやったかもしれないが、それを証明する十分な証拠が揃っていないから無罪にする」というのが、多くの判決の趣旨ではないだろうか。真っ白だという証明が出来たわけではない。ましてや善行をしたわけでは全くない。それが、無罪判決と同時に、あの人たちはどうして英雄になってしまうのだろうか。
小沢一郎氏の無罪判決で元気の出た取り巻き議員が大勢いるようだ。小沢氏自身も蠢きだしているようだ。限りなくクロに近い無罪の判決を武器に、大きな顔をして政界にまたぞろ君臨する小沢一郎氏の姿など見せられた日には、反吐がでてしまう。(2012.05.10)