2014-02-06
537) 今朝の読売新聞から
二つの意味で驚いたが、その一つ目。新聞というものは、左よりの立場から、何かにつけて時の政権の批判をするものだ、と思い込んできた。また隣の大国、中国をほぼ無批判に礼賛するものだとも思ってきた。ところがこの記事は雰囲気が違うのである。抜粋してみたい。
「昨年末の安倍首相の靖国神社参拝をきっかけに世界各地で一斉に始まった中国の反日プロパガンダ(政治宣伝)には、どれも共通するトリックがある。たとえば、・・・・・」
「首相の靖国参拝が『対話へのドアを閉ざした』という理屈である。そうだっただろうか。昨年1年間、中国の要人がどう言っていたか思い出してみよう。」
「このように中国側が問題にしていたのは尖閣問題であり、日本側が『日中間に領土問題がある』と認めれば首脳会談に応じる、という姿勢だったのだ。」
「そうした中国の威圧的な振る舞いに国際世論は厳しい目を向けた。」
「中国が11月、尖閣諸島を含む防空識別圏を設定すると、アジア各国や欧米諸国からの批判の声はさらに強まった。」
「『尖閣』で激しく攻勢をかけていた中国が一転して『靖国』ばかり口にするのは、『国際世論上の孤立を打破するため、靖国参拝を最大限利用して話題をすり替えよう、という意図がある』(外務省幹部)のは間違いないだろう。」
「いずれにしても、安倍首相の靖国参拝が『対話へのドアを閉ざした』きっかけでないことは確かである。」
驚いた二つ目。同じ記事の中に、『日本の一部報道・・・中韓主張を追随』という小見出しのもと、同業他紙(朝日新聞)に批判的な目を向けていたことである。これも一部を転記してみる。
「安倍首相の靖国神社参拝が日中関係や日本とアジア諸国の関係悪化のきっかけのように描く中国の反日プロパガンダは、必ずしも世界各国で受け入れられているわけではない。ところが、日本国内の一部メディアは、同様の見方に基づく記事を掲載している。一例をあげれば、『朝日新聞』・・・・・」
客観的に事実を伝えるという、マスコミにとって当たり前と思えることでも、いざとなるとなかなか難しいものらしい。(2014.02.06)