662) 敬老の日
昨日9月15日は「敬老の日」だった。敬老の日を辞書でひくと「国民の祝日の一つ。9月第三月曜日。老人を敬い長寿をたたえる日」とある。
敬う対象の老人とは何歳からを想定しているのだろうか。65歳か70歳か75歳か、あるいは具体的な年齢は想定していないのか、私は知らない。
敬老の日を前に12日、厚労省が発表した数字が気になった。100歳以上の高齢者が昨年より4423人増えて5万8820人になったという報道である。
新聞には「統計を取り始めた1963年には153人だけだったが、81年に1000人、98年に1万人を突破するなど、急速に高齢化が進んでいる」と報道されていた。
日本に100歳以上の人がそんなに沢山いるのかと驚いたが、もっと驚いたのはその内訳だった。5万8820人のうち女性が5万1234人だという。差し引きすると男性は7586人しかいない。5万と7千、恐るべき女性パワーである。
72歳の自分に当て嵌めてみると100歳までにはまだ30年近くある。頼まれてもそんなに長く生きたくはない。これまでの72年間、自分なりに充実した人生だったと思っている。これから先30年も生きていたら、これまでの何もかもが希釈されて、全てが無くなってしまいそうな気がする。
日本人男性の平均寿命が80歳を超えたと報じられたのは最近のことだ。自分がそこまで生きられるとすると後8年だ。自分と同じ72歳の男性の平均余命はもっと長いだろう。詳しいことは知らないが10年ちょっとだろうか。まあ、そんなところ、平均どころまで生きられたら思い残すことはない。
余命年数について欲はないが、形については欲張りである。長患いをせず、ピンピンコロリと逝きたい。しかし突然死というのもあっけない。1ヶ月位は病床にあって子供や孫たちと別れを惜しみたい。
そんなことを考えながら敬老の日を過ごした。まあ、思うようにならないのが人生である。明日にも逝くかもしれないし、思いのほか長生きしてしまうかもしれない。与えられた運命を受け入れるしかない。(2014.09.16)