674) ノーベル賞
昨日の新聞はノーベル物理学賞の記事で埋まっていた。家で購読している読売新聞朝刊には、少なくとも7面にわたってその記事が載っていた。このところ面白くない話題が多かった日本の科学界にとって、3人の日本人がノーベル賞の栄誉に輝いたというのは大きな喜びだっただろう。科学界に限らない。日本人の一人として、勿論私も喜んでいる。
同じ日の新聞に小保方晴子さんに関連する記事も載っていた。早稲田大学の総長が記者会見して「小保方氏の博士の学位を取り消す」と発表した。小保方さんが2011年に早稲田大学に提出した博士論文に盗用などの不正が見つかった問題に関する、大学側対応策の結論である。条件付きとは言え、研究者にとっては厳しい処分であろう。
小保方さんがSTAP論文で一躍脚光を浴びてからまだ1年もたたない。発表当時、新聞もテレビも画期的な研究として大騒ぎした。ノーベル賞候補だと騒がれた。リケジョのエースとして割烹着の由来や私生活のことまで報道された。
しかし程なくいくつもの研究不正が発覚、論文の撤回に追い込まれ、論文を指導した上司の研究者が自殺、再現実験するも未だ目途がたたない等々、今や小保方さんは詐欺師同然の扱いである。
STAP論文がなければ、博士号取り消しまで及ぶこともなかったであろうものを、と思ってしまう。
これほどの短期間に天国と地獄を見た人も少ないだろう。しかし私には未だに解せない疑問が残っている。
これは科学の世界のことである。実験すれば分かるはずだ。いくら見事な嘘の論文を書いたとしても、嘘であることは、早晩、必ず、ばれるはずだ。そして嘘がばれた時の非難の嵐も予想できるはずだ。
子供ならまだしも、判断力のついた大人が、そんな明らかな嘘をつくものだろうか、という疑問である。テレビカメラの前で「STAP細胞はあります。」と大見得を切った小保方さんの姿を思い出す。(2014.10.09)
画像:小倉駅前歩道の花壇に咲いたコスモスの花