869) 明治維新という過ち
『明治維新という過ち』という本を読んでいる。『日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』というサブタイトルがついている。
著者は原田伊織。友達に勧められて読み始めたものだ。
まだ読みかけだが、あまりにも激しい内容に驚いている。驚きついでに、その中の幾つかの文章を抜粋してみる。
〇勝者が書く歴史
「『勝てば官軍』といういい方がある。きっかけはどうあれ、経緯はどうあれ、そして手段はどうであれ、勝った方が正義になるという人の世のやるせない真理を、この言葉は端的にいい当てている。・・・・・戦の勝者が、自分の都合に合わせて歴史を書くことは極めて普通のことであり、このことは古今東西、全く変わらない。そのことを承知しておくことが、歴史を学ぶ、ひいては歴史に学ぶ知性であることを知っておくことが肝要なのだ」
〇官軍教育
筆者は明治以降、勝者、長州・薩摩の書いた歴史を「官軍教育」と呼び、学校教育で教え込まれたその内容が嘘っぱちだらけであることを繰り返し指摘している。
〇長州テロリスト(長州のテロリズム)
この本の中で、「長州テロリスト」と「長州のテロリズム」という言葉は、繰り返し繰り返し、何十回となく出てくる言葉である。
〇勤王の志士
「(勤王の志士とは)結論だけを先に述べれば、彼らは現代流にいえば『暗殺者集団』、つまりテロリストたちである。我が国の初代総理大臣は『暗殺者集団』の構成員であったことを知っておくべきである」
「(勤王の志士とは)勿論、長州テロリストの自称であり、学校教育などを通じて今日までにそれが定着したに過ぎない。史実というものを尊重するならば、勤王志士=長州テロリストと直訳していただくと間違いはない」「そのリーダー格が、桂小五郎、吉田松陰とその徒党、高杉晋作、・・・・といった、長州藩そのもが厄介者としていた主として若手の激情家たちである」
「彼らのやり口は非常に凄惨で、首と胴体、手首などをバラバラにし、それぞれ別々に公家の屋敷に届けたり、門前に掲げたり、・・・・・肛門から竹を突き通し、脳まで貫いて絶命させた上で、そのままの姿で市中に晒したりした」
〇吉田松陰
「ひと言で言えば、松陰とは単なる、乱暴者の多い長州人の中でも特に過激な若者の一人に過ぎない。若造といえばいいだろうか。今風にいえば、東京から遠く離れた地方都市の悪ガキといったところで、何度注意しても暴走族を止めないのでしょっ引かれただけの男である。ただ仲間うちでは知恵のまわるところがあって、リーダーを気取っていた。といっても、思想家、教育者などとはほど遠く、それは明治が成立してから山縣有朋などがでっち上げた虚像である。長州藩自身がこの男にはほとほと手を焼き、遂には士籍を剥奪、家禄を没収している。つまり、武士の資格がないとみられたはみ出し者であった」
〇歴史は勝者が書く、とはよく言われることである。先の大戦に関しても、米英は絶対の善、日本は絶対の悪、として描かれ、これに異議を唱えることは今に至るもタブー視されている。そして何十万人を虐殺したあの原子爆弾の投下でさえ、アメリカの行為は正当化されている。
〇明治維新も後日、勝者のために、美化されたところがあるだろうとは思う。しかしだ。筆者の長州に向ける視線はちょっと冷た過ぎるのではないか、それではまるでイスラム過激派と同じじゃないか、と感じるのだが・・・
〇明治維新となると長州と並んで薩摩が登場するのが普通だ。しかしこの本には長州の悪口は山と出てくるが、片方の薩摩のことはあまり書かれていない。鹿児島出身の私としては、何だか救われたような気分になるのである。(2016.02.19)