942) 奨学金
参議院選挙がスタートした。小倉駅前では今朝も某政党が通行人に政策パンフレットを配っていた。よけて通る人が多いが、私はなるべく貰うようにしている。
読んでみた。安全保障や憲法などの項目について一問一答式で当該政党の政策が解説されている。
中で『奨学金制度』という項目が気になった。『親に迷惑をかけずに奨学金で大学に進学したいと思っています。けれど、奨学金を利用すると多額の借金を背負うという話を聞きます。進学は諦めなければならないの?』という質問。
対する回答の中に『現在の奨学金制度はほとんどが貸付型であり、大学卒業時に平均で約300万円の借金を背負うことになります(毎月5万円×4年間=240万円に利子がついた金額)』という記述があった。
あんれ?近頃は奨学金に利子がつのか!と驚いたのである。
利子のことに限らず、私の奨学金に関する思い出は深い。
私は高校、大学を通じた7年間奨学金を受給し、高校も大学も奨学金に助けてもらって卒業した。奨学金がなければ学校を卒業することは出来なかっただろうと思う。私が受給した奨学金は特別奨学金と呼ばれ、一部は貸付だが、完済すれば残りは支給するという2階建てのものだった。給付水準も当時としては高かった。少しアルバイトをすれば奨学金でなんとか生活できた。もちろん利子がつくなんてことはない。
就職し、結婚し、子供が生まれ、その貧しい家計の中から、妻が必死に奨学金の返済を続けていたのを思い出す。一度たりとも延滞したことはなかった。そういうきつかった思い出もあって、3人の息子たちには奨学金を受けさせなかった。
奨学金については違う思い出もある。私が入社した会社は、『安川奨学金』という一般の学生を対象とする奨学金制度をもっていた。私はその事務局をした時期がある。高校から推薦を受け、面接して奨学生を決めていた。給付ではなく貸与だった。
問題は返済である。あまり多くはないにせよ、大学卒業後なしのつぶてになる人がいたのである。返済金は次の奨学金の原資になる大事なものだ。事務局ではそんな人に、手紙を出したり、いろいろと連絡をとるが、知らぬ顔の半兵衛を決め込まれてしまっては手の下しようがなかった。
Aさんはそういう中の一人だった。調べてみると大学卒業後、近郊の超優良企業で研究職をしているではないか。たまたま私はそこの人事課長さんと懇親の機会があった。それとなくAさんのことを聞いてみた。Aさんから全額返済の申し出があったのはその直後のことだった。Aさんには悪いことをしたかなぁ、と今でも時々思い出す酸っぱい思い出である。(2016.06.23)
画像 : 家の前、公園の土手に咲いたあじさい