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てげてげブログ
2008-10-28

4)結婚式 2008.10.28

 一昨昨日、結婚式に出席しました。新郎新婦は私が2年前まで社長をやっていた安川ビジネススタッフの社員同士。大学を卒業して7年前に入社した同期の二人。7年間密かにそして大切に愛を育んできたということでした。康博くん、瞳さんおめでとう。
 教会での結婚式、百数十名が出席した披露宴、楽しい祝辞に余興。終始笑み満面の二人。そんな中でワインを飲みながらふっと思い出すことがありました。自分の結婚式のことです。
 ちょうど40年前のこと。私は安川電機という会社に入社して、まだ3年経ったばかりでした。同じ職場の女性を好きになりました。絶対にこの人と結婚しようと思いました。しかし私には貯金がちっともありません。大学卒の初任給が2万円という時代でした。給料が安くてあまり貯金する余裕がなかったという一面もありますが、私の場合は飲み代でした。毎晩のように夜の街に飲みに出ていたのでは、いくら安い飲み屋さんを選んでも、貯金通帳の中身が充実するはずがありません。
 結婚式の費用も、新婚旅行の費用も何も無い。でもすぐにでも結婚したかった。待てなかった。
 二人一緒に数日間の休暇をとりました。私の郷里、鹿児島で結婚式を挙げてきたということにして外面をにごしました。両方の母親(二人とも父親はもう亡くしていました)と兄弟姉妹には、会社の別府保養所に集まってもらって、一晩食事をしながら顔合わせしてもらいました。
 休暇を終えて会社に出たら職場の仲間や同期入社の友人が中心になって会費制の披露宴を開いてくれました。会社のクラブでした。ささやかではあっても、賑やかで楽しい披露宴でした。
 結婚式の方はこれでなんとかごまかしましたが、まだ新婚旅行が残っています。こちらは年末年始の休暇まで3ヶ月ほど待ちました。軍資金は冬のボーナスです。ボーナスを全額持って、京都に遊びました。京都の冬は寒いといいます。しかし二人には暖かい京都でした。
 後日談。今は亡き義母が一度だけぽろっとこぼした事がありました。新婚時代の貧しい私達を陰に陽に支えてくれた義母でした。私達の生活にもいくらかゆとりが出来た頃のこと。「娘のウェディングドレス姿を一度見てみたかったんですよ」。私はただ黙って頭を下げるしかありませんでした。

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