2010-12-20
242)裁判員裁判制度
ついこの前、裁判員制度における始めての死刑判決が出たと、マスコミが騒いでいましたが、死刑判決も、もう何件かに積み上がったようです。死刑判決に加わった裁判員の声も色々伝わってきます。大きな苦しみを伴うようです。心のケアが必要だという識者もいます。
判決をくだした裁判官自身が、控訴を勧めた裁判もありました。自分が決めた判決に対して、これを不満として控訴しなさいと指導する裁判官、これは一体どういうことなのでしょうか。その後、被告人が控訴してくれて気持ちが楽になったという裁判員の談話も報道されていました。
それでもいくらか救いがあったのは、事件の多くが本人も自白して、罪を犯したことが明らかなケースだったことです。犯人も認めている明白な犯罪行為に対して量刑を決める。そこでは当然、過去の判例が示されて、それを参考にしてこれくらいが妥当かな、として決められるのだろうと思います。裁判員にとって、そこには冤罪の恐れも少ないし、まだ耐え易いかもしれません。
問題が大きいのははシロかクロかはっきりしない場合です。先日、鹿児島で被疑者が最後まで完全否認しているケースがありました。当人がやっていないという犯罪を、「いやおまえがやったんだ、死刑だ」とドシロウトに判定できるものでしょうか。冤罪になった場合の裁判員の衝撃は推し量ることが出来ません。
死刑か、無罪か、そんな際どい判定をシロウトである裁判員にやらせるというのは、あまりにも過酷に過ぎると私は思います。そういうわけで、私自身は、無罪の判決が出るだろうと予想していました。判決はやはり無罪でした。
極端なことを言うと、最後まで頑張って自白をしなければ、裁判員裁判では、凶悪犯もみんな無罪を勝ち取れるかもしれないという気がします。
裁判員裁判制度については、早いうちに根本からの見直しが必要なのではないでしょうか。(2010.12.20)