2023-06-16
1284)体罰について思うこと
どこからがパワハラなのか、どこからが行き過ぎなのかには難しい問題があると思うけれど、体罰に関しては拳骨であろうと平手であろうと、身体に触れたがさいご、受けた者が体罰と感じたら体罰になる・・・というのが世間の判断基準なのではなかろうか(と感じられる)。
体罰に関して、私には自分の記憶に蓋をしてきた、思い出したくない過去がある。
20代の若くて元気のあるころだった。若い夫婦に授かった初めての子供をどのように育てていいのか分からなかった。長男に対する期待は大きかった。しかしやんちゃな長男は親の思うようには育ってくれなかった。短気な父親はついつい手を出した。激しく泣き叫ぶ子供を前に父親はますます興奮した。そんなことがたび重なった。
今時なら、児童虐待の罪で逮捕されるかもしれない、そんな叱り方だった。見かねた義母からは「そんなに叱ると、ろくな子供に育たないよ」と注意された。
しかし長男は幸いにも愚連ることなく素直に育ってくれた。もう中年である。その頃のことを彼は覚えているはずだが、これまでその恨みについて聞いたことはない。私の方も詫びたことがない。こんな古い話をぐだぐだ書いているのは、正面切ってそれを言えない父親からのお詫びのしるしである。「ゆるしておくれ」
蛇足である。長男とは4歳違いの次男と6歳違いの三男を育てる時には、以前の経験が効いたものか、それだけ年とって元気がなくなったものか、穏やかな父親に変身していた(と記憶している)。
(2023/06/16)