2024-02-13
1429)責任という無責任な言葉
閣僚や政府の役職者が不祥事をおこす。任命者は「任命責任を痛感」して言葉の上ではお詫びをする。しかしその形跡は見えない。そして次から次に不祥事は発生する。お金やら異性やら素行の問題やら、どだいプライベートに類することまで任命者が責任を持つことなど出来るはずがない。任命者もそう考えて罪の意識もなく騒ぎが納まるのを待っている。
説明責任という言葉も時間稼ぎの一種じゃないかと思う。統一教会の問題にしろ、裏金の問題にしろ、説明責任を果たせと周りは騒ぎ立てる。しかし正面切って説明できないからこそ、当人はだんまりを決め込んでいるのじゃないか。時間が経ってみなが忘れてくれるのを待っている。
かくて「責任」という言葉は、正反対の「無責任」の衣装をまとうことになる。
(2024/02/13)