2010-01-19
129)阪神淡路大震災 2010.1.19
ただ私にも、大震災の報道の度に思い出す小さな経験がある。震災の大きさに比べたら、あまりにも小さな小さな二つの出来事である。
1995年1月17日、その日、私は東京に出張を予定していた。新幹線の乗車券も買っていた。普段より少し早めに目が覚めたので、テレビをつけた。関西方面で地震があって、新幹線が運転を見合わせているという。それじゃあ、というので航空会社に電話して飛行機を予約した。チケットはすんなりとれた。(もう少し遅かったらとてもとれなかったということを後で聞いた。)
家を出る時には報道も詳しくなく、あまり大した地震でもなかろうという認識だった。福岡空港で目にしたニュースでは、被害者の数が増えてはいたものの、ひどさの程度はあまり伝わってこなかった。東京に着いてみると被害者が数百人から、千人を超え、数千人と時間とともに膨れ上がっていった。そして6434人の人が亡くなった。
以来、地震の報道に関しては、「ああこれではすまないんだろうな」と思って見るようになった。報道する側でも被害地域の広さや通信網の途絶等、情報不足から、如何とも為し難いことなのだろう。今回のハイチ地震の被害者も、当初報道の数百人から、数千人に、そして1万人だ、5万人だ、いや20万人に達しそうだとまだ全貌は掴めない。
もう一つの体験は、数年前、妻と一緒に有馬温泉に遊んだ時のこと。有馬から神戸に帰る電車の中、陽気なおばあちゃんと隣り合わせた。神戸に着くまで彼女の身の上話を拝聴することになった。かの大震災の被災者だった。『とても恐い思いをした。家も潰れ、何軒か所有していた貸家も壊れ、家族も亡くして、自分だけが奇跡的に助かった。今はおまけの人生だと思って、好きなことをして暮らしている。有馬温泉にもよく出掛けている』云々。
被災者の話を直接聞いたのは後にも先にもこの時だけ。印象が強く、今でも妻との会話の中に時に彼女が出てきたりする。