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てげてげブログ
2011-05-11

285)オーストラリア日記(その4)

  これから数回に分けて、オーストラリアでの日々を綴ってみたい。日記のなかに度々登場すると思うので、最初に息子の家族の紹介をしておきたい。
  周(しゅう)=息子(次男)、37歳、昨年8月オーストラリアに転勤。 園子(そのこ)=嫁、37歳。 初(うい)=女の孫、9歳。 雄(ゆう)=男の孫、5歳。
  普段は息子のことは「しゅう」と呼び捨てもしくは「しゅうちゃん」、嫁さんのことは「そのこさん」、孫は「ういちゃん」と「ゆうくん」と呼んでいるが、日記の中では全員を呼び捨てで書くことにする。

4月19日(火)
福岡空港発12:15、成田空港14:00着のJAL便に乗る。
荷物は福岡空港でキャンベラまでの手続きを出来たのがありがたかった。
成田に着いてから、シドニーまでの飛行機には6時間近くの時間がある。国内便が少なくて待ち時間が長くなるのが成田の欠点だ。仕方がないから時間潰しに「成田山新勝寺」にお参りに行って、旅の安全を祈り、お札をいただいた。
成田空港19:50発、JL771便に乗る。シドニーに着くまで一睡もできなかった。妻は横ですやすやと眠っていた。


4月20日(水)
シドニー空港6:40着(日本時間5:40)。
シドニー空港の中を国内線ターミナルに移動。英語が全く話せない私たちのために、周が作って、パソコンメールで事前に送ってくれたマニュアルが役に立って、入国諸手続きも無事に済ませ、道を迷うこともなくすんなりと所定のターミナルに移動成功。
シドニー空港9:40発、驚いたことにプロペラ機。
キャンベラ空港10:30着。

空港には、園子・初・雄の3人が出迎えてくれる。初と雄は秋休みに入って、私達がオーストラリアに滞在する期間は全部休みなのだという。ちょうどいい時期に恵まれたようだ。
園子の車で空港から街へ。街に出るまでの道路沿いは、今まさに秋真っ盛り、紅葉・黄葉がとても綺麗だった。
早速キャンベラ観光をする。ゆったりして緑の多いいい街だなあ、というのが第一印象だ。
  首都展示館
  国立博物館
    コンピュータを使った宇宙船作りに雄が熱中していた。
  小学校(プライマリースクール・初と雄が通っている小学校)
    教室の中まで入れてくれて、初と雄、それぞれの作品の展示を見ることが出来た。

家に着く。タウンハウスと呼ばれる2~3軒の長屋方式、2階建ての住宅。
  門扉を開いて最初に目についたのが、庭木の枝に吊られた歓迎カードだった。
  「ウェルカム じーじとばーば」という子供の文字が嬉しかった。
  家の周囲は林。林の中に住いがあるという感じだ。
  庭付きの広い家。1Fは広い居間と広いキッチン。2Fに3室。トイレが3ヶ所。
  居間にはワインセラーが置いてある。私に似て酒の強い息子である。
  初、雄と一緒にすぐ近くの湖まで散歩した。黒鳥にお目にかかる。
周が帰ってきて、夜は庭でバーベキュー
  ボンベつきの移動式バーベキューセットを自家で保有していた。
  周がかいがいしく肉を焼いてくれる。牛肉、ラム肉、ソーセージなど。
  骨付きのラム肉が美味しかった。もちろんワインも美味しかった。

キャンベラという都市について触れておきたい。
  1901年にオーストラリアがイギリスから独立した時に、首都の座を巡ってメルボルンとシドニーが対立して決着がつかなかった。1911年、この両都市の首都争いに決着をつけるべく、両都市の直線上の中間地点に首都を置くことにし、キャンベラという都市の建設が始まった。1927年に臨時首都メルボルンからキャンベラに遷都され、1929年に初めてキャンベラで国会が開かれた。
  キャンベラはアメリカ人の建築家により設計された人口都市であり、彼の名を冠した人口湖バーリー・グリフィン湖の周りに拓かれた街である。人口は約32万人、同国第8位の規模である。
(2011.05.11)    
  
  
  

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