2011-10-24
342) 太閤水
22日、土曜日に最終日を終えた。
ほっと肩の荷がおりたというのが正直な気持ちである。
気のゆるみと打上会での飲み過ぎがたたって、
日曜日に起きたのは昼前だった。
身体に気合を入れるために昼から散歩にでた。
足の向くまま、約2時間の散歩になったが、
途中で「太閤水」(若松区小敷)という地域を通った。
何か由来ありげな地名であり、
気にはなっていたが、今まで確かめもせずにいた。
何かあるんじゃないかと注意しながら歩いていると、
道端にひっそり立った「100メートル先太閤水跡」という、
小さな立て看板が目に付いた。
やっぱり何かあるんだ、100メートルならすぐそこだ、
勇みこんだものの、そこから先が分かりにくい。
入り組んだ川沿いの細い道を、
左に行ったり、右に行ったり。
「太閤水」は山裾の民家の間にひっそりと保存されていた。
蔓性の植物による自然の日除けがついた、
6畳ばかりの石畳の空間はなにやらおごそかだ。
入口には字の薄れた由緒書きの立て看板。
奥には石造りの井戸があるが、石の蓋で塞がれている。
豊臣秀吉が朝鮮出兵のために、
唐津の名護屋城に出陣した時の、
道中の給水所として設けられたという。
ちなみに北九州地域には、太閤水という地名が、
新宮町や福津市や唐津街道やにいくつかあるらしい。
(2011.10.24)